聖歌隊 南山大学スコラ・カントールム 2023年度 Advent Prayer 歌詞パンフレットより
アドヴェント—。救い主イエスさまがわたしたちのもとにおいでくださることを喜び,希望のうちに待つ季節です。実に,希望は喜びでできている,と言っても過言ではないでしょう。希望があること,それ自体が喜ばしいことだからです。ではその喜びとは何かといえば,それは福音書のなかに書いてあるのだと思います。
イエスさまは,お生まれこそイスラエル王ダビデを輩出した町ベツレヘムでしたが,出身は多くの異邦人が住むガリラヤ地方の町ナザレでした。マタイ福音書はナザレを含むこの地方のことをイザヤ書の言葉を借りて「異邦人のガリラヤ」と呼びました。その地に住む人々は「闇の中に住む民」「死の地,死の陰に住む人々」といわれていました。その彼らが「大いなる光」を見,彼らに「光が昇った」のだと,マタイ福音書は描いたのでした。イエスさまは自ら「闇の中,死の地,死の陰に」住んでおられた,わたしたちの「闇」と「死と死の陰」の只中に「大いなる光」として住まわれたのだ,と。
当時のユダヤ人は異邦人との交際を避ける決まりでした。しかしイエスさまは常にいやしを求める異邦人に囲まれていました。たとえばマタイ福音書には百人隊長,つまり100名のローマ兵を束ねる軍隊長の僕(しもべ)のひとりの病気をイエスさまがいやされたというお話があります。先を読み進めると,イエスさまがガダラ人の地方に行かれたときのエピソードがあります。この地域はガリラヤ湖の南側,かつヨルダン川の東岸にあたり,住民のほとんどがギリシア人だったそうです。そこに悪霊にとりつかれた人がいて,この人もイエスさまに悪霊を追い出していただいたのでした。イエスさまはティルスとシドンの地方にも行かれました。非ユダヤ人の居住地です。そのときも,イエスさまはこの地方に住む女性の切なる願いに応えてその女性の娘の病気をいやされます。マルコ福音書はこの女性がギリシア人でシリア・フェニキアの生まれだったと記しています。このように福音書には,自ら異邦人の町々を訪れたイエスさまのいやしの物語が,同朋のユダヤ人がいやされる物語とともに並んでいるのです。
イエスさまの生き方は,弟子たちにも受け継がれてゆきました。自らを「異邦人への使徒」と名乗ったパウロはもちろんのこと,使徒言行録には,イエスさまの一番弟子のペトロが,ローマの百人隊長コルネリウスの家を訪ね,「ユダヤ人が外国人と交際したり,訪問したりすることは,許されていませんが」と言いながら,コルネリウスの招きに応じて集まった友人たちにイエスさまのことを宣べ伝えるというお話があります。
救い主イエスさまがわたしたちのもとにおいでくださるということは,このように,分け隔てなく誰にでも,わたしにも,救い主が訪れてくださる,ということなのかもしれません。
思えば,今からちょうど20年前に数名の学生たちと「なんすこ」を創団して以来,毎年,お互いまるで知らない「異邦人」として,新入生は先輩方と出会い,先輩方も新入生を迎えたのでした。その「壁」を楽々乗り越えておられたのは,この聖歌隊が毎年大切に歌い継いできたクリスマス・キャロルのうちに現存しておられるイエスさまだったのではないかと思います。「なんすこ」の誰もが「飼い葉桶に眠る幼な子イエスさま」のことを歌いながらひとつになれたのは,彼らのうちにあるさまざまな「壁」を「幼な子イエスさま」がほほえみかけながら取り払ってくださっていたからでしょう。さまざまな「壁」を越えて,お互いの欠けを補い合いながらひとつになる素晴らしい経験を,神さまはこの聖歌隊に20年も味わわせてくださいました。このことを心から神さまに感謝して,本日をもって,中山裕二郎さん,加藤恵太さんのお二人の素晴らしい指揮者の方々とともに私も「なんすこ」の指揮者のお役目を終えて,OBとなり,指導役を次の方々に引き継ぎたいと思います。「なんすこ」は常にわたしにとって希望のしるしでした。そしてこの希望はいつも喜びに満ちていました。