五体投地

今朝の礼拝説教で詩編10編14節が取り上げられました。

あなたは必ず御覧になって
御手に労苦と悩みをゆだねる人を
顧みてくださいます
不運な人はあなたにすべてをおまかせします
あなたはみなしごをお助けになります

新共同訳ではこのようになっているが,岩波訳では次のようになっている,とのお話でした。

あなたは—まことに,あなたが—見た
禍いと悲しみを
あなたは眺める
あなたの手に置くため
哀れな者はあなたの上に身を棄て
孤児(みなしご)[に]は
あなたが助け手となりました

わたしの禍いと悲しみを神はご自分の御手(みて)に置いてじっくりご覧になるという表現や,神の御手(みて)の上にわが身を棄てる,という岩波訳の言い方はしっくりきます。

今年5月のNHKスペシャルで奈良・東大寺二月堂の修二会がレポートされていたのを思い出しました。特に印象深かったのは,火の粉が舞うなか練行衆が行っていた五体投地。全体重を乗せた板がダンと厳しく床に打ちつけられる音は,今も耳に残っています。

慌ただしく過ぎた,ここひと月。身の丈に合わず自分の能力も越えた気の重い仕事もあり,案の定,結果も思わしくなく,少々気が塞いでいたところでした。自分の非力を嘆いたり,消え入りたいほど恥ずかしくなる気持ちは,練行衆の五体投地の懺悔とどこか似ています。

床に激しく身体を打ちつける練行衆の姿に自らを重ねていると,心が少し軽くなってきました。衆生の身代わりとなって修行に励んでおられる若い僧侶の方々への勿体なさを感じるからでしょうか。嘆きをうちつけるこの地こそ御手(みて)なり,と感じたからでしょうか。