聴くということ

南山大学スコラ・カントールム 2010年度定期演奏会パンフレットより

「なんすこ」では毎年,夏合宿が終わってしばらくした後,全団員に「定期演奏会出演希望アンケート」を配布し,12月の定期演奏会に寄せる思いを書いていただくことにしている。アンケートの目的は「出演への明確な意志決定を強く促すとともに,自覚と責任をもって今後の練習に臨み,達成感のある定演ステージを一致協力してつくりあげること」にあると,少々固い口調で趣意文に書かれている。彼らの文章を読むたびに,わたしはいつも大きな励ましを受けている。今年は,ある新入団員の言葉にはっとさせられた。その団員は次のように書いてくださった。

入団したきっかけは皆と歌いたいというより皆の声を聴いていたいという理由からでした。このサークルに入ったら皆のきれいな歌声を毎日聴いていられるかなと思っていました。その反面歌うこと自体はあまり好きではなかったので初めのうちは練習にもずっと消極的だったと思います。でも8月に入りパート内の声部分けやカルマノ杯*で先輩におんぶに抱っこの今のままではいけないなと責任を感じ始めました。残りも後3ケ月しかないですが,やれるだけのことをやって,今年のステージを少しでも頑張って,来年なんとか先輩らしく歌えるようになりたいです。
(カルマノ杯:夏合宿中に行われる、学長の名を冠した団内の少人数アンサンブル・コンテストのこと)

なぜだろう。歌うことがあまり好きではなかったというこの団員の,「歌いたいというより皆の声を聴いていたい」という一見消極的にみえる姿勢に,なぜか私は,合唱の原点といったようなものを垣間見る思いがした。

「このサークルに入ったら皆のきれいな歌声を毎日聴いていられるかな」―。これほど素直で純粋で,素晴らしい入部動機が他にあるだろうか。なんすこが「きれいな歌声」だと言うつもりはない。ただ,合唱という営みには,なしかしらこのような純粋な魂をひきよせる不思議な魅力が秘められているようなのである。

この団員はサークルに入り,合唱の輪(サークル)に加わった。私は思う。あの初心を忘れないでほしい。慣れてくるといろいろと粗が見えてくる。音楽上の未熟さだったり,人間関係のほつれであったり。

にもかかわらず,である。にもかかわらず,なんすこが共に輪になって歌うことは素晴らしい。毎日でも聴いていたいサウンドがここにはある。傷みをかかえながらもなお,時をともにしたい仲間がいる。仲間の声を聴いていたいという思いが団員ひとり一人から失われない限り,来年もまた,新しい仲間がこのサークルにひきよせられて入ってくださるだろう。なんすこはそのような団でありたい。