南山大学スコラ・カントールム 2009年度定期演奏会パンフレットより
産着に包まれ 安らいながら
星々のうちに 輝いておられる
これは4世紀の聖アンブロジウスのことばです。4世紀といえば,イエス・キリストの誕生を12月25日にお祝いするクリスマスの習慣がローマを中心に定着し始めた時代です。このクリスマスの黎明期に,聖人は,イエス誕生の神秘をかくも短く美しいことばで言い表したのでした。
「産着」とは,飼い葉桶に眠る幼な子イエスが包まったあの産着のことでしょう。赤子の小さきからだを包む,弱さのシンボルです。イエスが一人の人間としてお生まれになったことをうたっています。
産着と対極をなすものが「星々」でありましょう。星空を見つめていると,その神々しさゆえに深い畏怖の念を抱くことがあります。星々は神聖さのシンボルです。ここでは,幼子が世に遣わされた神の子であることを告白しています。
ときおり寝息をたてるみどり子から目を移し,ふと星空を見上げたとき,この幼子の真の出自が清けき星々のうちに語られたのだ,と聖アンブロジウスは詠んだのです。
思えば人は誰でも生誕の神秘を生きる存在ではないでしょうか。遠く記憶さえ届かぬ幼い日々に,人の尊さを最初にわたしに教えてくださったのは誰だったでしょう。幼いわたしにお襁褓をあてがい,庇護のもとに置いて安らわせてくださったわたしの父母ではなかったでしょうか(ちょうど幼子を授かったマリアとヨセフのように)。しかもその父母こそ,一人の人間の誕生はいつも神さまからの授かりものであり,神秘的な出来事であると,身をもって体験していたはずなのです。
自分の弱さに嫌気がさしたり,他人の弱さに傷ついたりするとき,ときどき空を見上げるとよいと,聖人の言葉はそう教えてくれているのかもしれません。そしてその眼でもう一度,星明かりに照らされる己れ自身と,あなたに向けられているやさしい眼ざしに気づくがよい,と。アンブロジウスの言葉は,実はわたしたち一人ひとりに向けられた祝福の言葉なのかもしれません。